東京タワーヘッダー

あゆ本から考えるイノベーション

最近「M 愛すべき人がいて」(以下「あゆ本」)を読みました。
昔から浜崎あゆみのSURREAL(ヘッダーはこの曲のジャケットとPVにしたかったのですが肖像権的に諦めました)になぜかとても心惹かれるのですが、
あゆ本を読んでその理由が、この歌が「大好きな人と別れて働きマンとしてやっていく宣言」であり

「好きなモノさえも見付けられずに
責任なんて取りようもない
背負う覚悟の分だけ可能性を手にしてる」

が全働きマンへの強いメッセージになっているからだと気付きました。

あゆはこの歌で大好きな人にずっと大好きだけどお別れだよ、一緒に作った「浜崎あゆみ」として生きていくよ、と言っているわけで、その人間としてのリアルな切なさが多くの人の胸を打ったのだと思います。

あゆは大好きな人に手紙を書くために歌い始めたのですが、この曲がリアルタイムの大好きな人へのお手紙の最後か最後から2番目だと理解してます(最後のリアルタイムお手紙はやっぱり「M」かな)。これ以降のあゆは「大スター浜崎あゆみ」としての鎧をかぶってしまったように思います。

ファンへのメッセージだったり、がんばってニュー彼氏を好きになろうとする歌だったり(「STEP you」の「そのうち笑顔独り占めしたくなるかな」で、全然彼氏好きじゃないじゃんとヤング金光は思いました)、残念だけど大スターとして生きることを決めてからのあゆの歌は人の心を打つパワーが弱くなりました。
個人的にはこれ以降の曲でも好きなのはあります。例えば2006年のAlternaとか。ただこの曲はまさに大スター浜崎あゆみの仕事における苦悩を歌ったもので、「あらゆることから守るための鎧みたいな感じだったかもね」「運命でも宿命でも変えていってみせようじゃない 怖いものならもう十分見尽くしてきたんだから」という歌詞がもう辛そうです。PVも鎧感はんぱないです。完成度はSURREALより高いのですが。
SURREALとAlternaの違いは歌っている情熱がリアルか作ったものかの違いなのかなと思っています。


宇多田ヒカルが久しぶりに「売れた」fantomeはお母さんである藤圭子が亡くなったことをきっかけに、激しいマザコンである宇多田ヒカルがお母さんにあてて歌ったアルバムだと思っています。
「道」の「私の心の中にあなたがいる いつ如何なる時も 一人で歩いたつもりの道でも 始まりはあなただった」は聞くといつも泣いてしまいます。
宇多田ヒカルはめちゃくちゃ才能のある人ですが、「お母さんに認められたい、愛されたい」というのが人間としての根っこにある気がしていて、このアルバムではそれが表現されているから、多くの人の心に刺さったのだと思います。

どんなに才能や技術がある人でも、「世の中の人」の心を打つのはリアルな情熱であり、管理/計画して作ったものではないんだなというのをあゆ本を読んで思いました。

岡村靖幸は「モテたいぜ君に」という情熱が色あせないままずっと歌い続けているのですごい歌を書けるんだと思いますが、彼が「これからはSDGsが売れるな」と思ってもおそらく環境をテーマにした、「世の中の人」の心を打つ曲は作れないんじゃないでしょうか。

そして、「会社」も同じなのではないでしょうか。
ホモサピエンスが古代から長い歴史をかけて改善してきた今の社会のシステムにNOと言い、Disruptしようとすることは、そのシステムを守っている多くの人からは理解されないし嫌われるかもしれないけど、世界をこう変えたい、という強い情熱が「世の中の人」の心を動かすし、そういうキテレツな情熱を持った人たちが色んなイノベーションを成し遂げてきたのだなと最近思います。

キテレツな情熱を持っていない人が「イノベーティブなビジネスを作らないといけない」という理由で作られた情熱を持っても、これが「世の中の人」の心を動かす(世界を変える)ことは難しいと思っています。
私自身には「世界を変えたい」という情熱はないです。ですが、そういう情熱を持った人達と一緒に働けることはとても幸せだし、今そういうキテレツな人たちが挑戦をしやすくなっているのは世の中にとってとてもよいことだと思います。(当社の創業者のお二人は紛れもなくキテレツさんです!)
キテレツな情熱を持った人たちを理解して支える人も増えますように!!

ということであゆ本は学びが本当に多いです。あとあゆの「誰にも言えない 誰かに言いたい あの人が誰より大切って」という願いがあゆ本でかなってよかったね、と思います。でもこういうのって言った後むなしくなるタイプのやつですね。。。切ない。。。



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