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創業したてのベンチャーで働くということ(bF1号社員亀ちゃん手記)

2019年8月31日、bitFlyer第一号正社員、亀ちゃんこと小亀俊太郎さんが、自分で会社をつくるため、bitFlyerを退職しました。
もともと亀ちゃんは入社時に5年間働いてそのあとは起業する、というのを加納さんと約束していたので、その時がきたね、ということなのですが、亀ちゃんをみんなでパチパチしたのはこの会社において最もうるうるした瞬間の一つになりました。

亀ちゃんがこの5年間を振り返っての超長文をFacebookに公開しており、すでに464いいねをゲットしているのですが、できたての会社で働くとはどういうことかをよく表した文章だと思うのでぜひbitFlyer Blockchainのnoteでも紹介させてください。

我々も亀ちゃんの情熱に負けないようにがんばっていかないとなと思います。
亀ちゃんのTwitterはこちら。まだあんまりつぶやいていないようですが、そのうちつぶやきだすはずです!
https://twitter.com/ShuntaroKogame

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ご報告

8月末で最初の社員として入社したbitFlyerを退職しました。2014年5月に加納さん宛にFBメッセージを送ったのが始まりです。仮想通貨·ブロックチェーン市場の創出とbFの成長に貢献できたことは一生の宝物です。お客さん、社員のみんな、全ての関係者の方々に感謝しています。特に加納さん、小宮山さん、金光さんには大変お世話になりました。5年前に面識も無く連絡して来た僕を最初の社員として採用して頂き、そして育てて頂きありがとうございます。皆さんと席を並べてまさに四六時中仕事をし続けられたのは最高の思い出です。
引き続き頑張ります。よろしくお願いします。
以下、長文ではありますが、自分の経験が日本のスタートアップ・エコシステムの発展に少しでも寄与できるよう、スタートアップへの転職を検討されている方々からよく質問をされる「入社の経緯」や「入社後の取り組み」などを書きました。特に、今大企業にいらっしゃってスタートアップへの転職に興味を持たれている方々の参考になれば幸いです。

bitFlyer入社の経緯


2011年にみずほ銀行に入行し、仕事柄日々多くの社長と会っていました。当然、社長は皆事業に対しての思い入れが強く日々接しているうちに自分も将来自ら事業をやりたいと考えるようになりました。2012年後半あたりから進路を模索し始めました。MBAの情報収集のためにUSのMBAスクールを見学しに行ったり、スタートアップの情報収集のためにWantedlyや知人に紹介してもらった企業を訪問したり、六本木のawabarに通ってIT企業の方々の話を聞いたり、プログラミングの勉強をしたりしました。銀行で働いていたこともあり金融サービスの非効率さを改善しもっと便利な世の中にすることに貢献したい、そして将来事業をやるための経験が積める環境に身を置くのが良いと考え始めました。
その後、2014年5月にbitFlyerがサービスをローンチしたというWEBニュースをたまたま見かけました。面識はなかったのですが駄目元で加納さんにFBメッセージを送りました。返事がもらえたのですぐに当時働いていた神戸から東京へ会いに行きました。初めて会った時は一緒にBBQをしました。その後有休を取って当時bFのオフィスだった四谷三丁目のアパートの1室に行かせてもらい様子を見学させてもらったり、何度か東京で面談をしたりしました。
とはいえ、初めての転職で怖かったのを覚えています。退職する勇気をつけるために同僚とバンジージャンプに行ったり、仲の良い同期や友人10人くらいに明日退職願を出すという旨の連絡をして自分を追い込んだりしました。結果的にみなさんから快く送り出していただき、とてもありがたかったことを覚えています。
そして2014年8月にbitFlyer最初の正社員として入社することになりました。bitFlyerにはみずほの半分くらいの年収で入社しました(今はそんなことないですよ)。当然入社後当面の間生活はカツカツでしたが、この時に入社を決められたことは良かったと思います。入社当初は東京での家が決まっていませんでした。家が決まるまでの1ヶ月程度、当時の永田町オフィスに住ませてもらいました。会社にソファベッドがあったので夜はベッドにして寝てました。休日に自宅探しをしてなんとか見つけることができました。

加納さん亀ちゃん2014


bitFlyerでの取り組み


入社して最初の仕事は会社と自分自身が契約するNDAと雇用契約書の作成でした。WEBに落ちてる資料を参考にしてゼロから作成しました。入社当初、普段は飲み物の補充をしたり、社内の掃除をしたりしていました。一通り庶務が終わったらカスタマーサポートをして、その後新サービスやキャンペーンの企画を考えてお客さんにどうすれば使ってもらえるかを検討していました。ちなみにこの頃(2014年〜2015年)は加納さんもカスタマーサポートをしていました。お客さんがまだまだ少ないので、お客さんにそもそも知ってもらえるようにありとあらゆることを試しました。勉強会は何度もやりました。数人しか来ない場合がほとんどで、誰も来ない回が何度もありました。それでも普及のために繰り返しやってました。渋谷や丸の内でティッシュ配りもしました。ティッシュのみ、チラシのみ、ティッシュとチラシセットで配るのはどれが効果が良いのかとか、配る時間はいつ頃が良いのかとかを調べたり、友達紹介機能を実装して何層までどのように紹介の和が広がるんだろうと、実データと専門書や論文、WEBの情報を比較し研究したりしてPDCAを回していました。
なるべくお金をかけず、最良な開発環境を提供するためにフロアの設計や机の組み立てもやりました。社員が増えていくのに伴って休日にはIKEAに加納さんと行き、机や椅子を選び会社に持ち帰って作りました。会社が大きくなってくると2~3ヶ月以内に10人以上人が増えるからと、先んじてデスク·椅子のセットと会議用のテーブル·椅子などを20セット以上1日で作ることもありました。机と椅子のセットができたらオフィスに並べてPCやモニター、配線の敷設をします。フロアのカバーを剥がしてフロアを這ってコードを敷設します。技術で世の中は便利になりますし、それを実現してくれるエンジニアのみんなには最高の環境を提供したいと思います。ハードウェアで人間の能力をキャップしないように、PCやモニターのスペックには当然こだわりますし、デスクの大きさ、椅子も含めて出来る限りベストな環境を作りたいと思いやってきました。
設立初期は、お金がなく資金集めをしなければ会社が倒産してしまいます。加納さんが必死に投資家回りをするのをサポートしました。bitFlyerのビジョンを信じて、会社の成長を支えてくれる株主の方々がいてくれたからこそ、bitFlyerの成長があると思います。何十社も回って、ようやく合意できた条件で契約書を作ります。思い入れがあるので全部手作業で作ります。何度もリバイスするのでファイルのバージョン管理だけでも大変です。最終版を作っても最後の最後まで修正が続きます。当然全てのファイナンスが上手くいくわけが無いです。苦しい時期は何度もありましたが、うまくいかなくてもトライをし続けて今があります。支えてくださっている株主の方々にきちんとリターンを返せるよう引き続き会社を成長させていかなかればなりません。
組織づくり·採用は大変でした。採用·人事関連の本をまずは読みネットで調べますがスタートアップの組織作りなどのノウハウは当然中々出回っていません。採用事業をやられてる会社や他のスタートアップの方々の話を聞いてノウハウを少しずつ貯めていきました。採用においては、そもそも知名度がなかったこともあり応募自体がほとんどありませんでした。それでも仮想通貨·ブロックチェーンの可能性を信じて入ってきてくれた仲間たちがいます。従業員が増えていって、少しずついろんなことが会社としてできるようになっていきました。各領域における専門知識·経験が豊富なチームが揃っていって、どんどん強力な組織になっていきました。会社が大きくなり成長してくるとだんだんと応募数も増えて来ました。組織が急拡大して行く中でもちろんたくさんの失敗もしました。失敗を乗り越えて変わり続けることでしか組織は成長しないんだろうなと感じています。権限分掌や組織ストラクチャーやレポートライン、責任と権限のバランス、OKR·KPI、インセンティブ設計、労務管理、ガバナンスから現場マネジメントまで時々の状況に応じて多くのことを学ぶことができました。
プロダクトについては、お客さんに使ってもらうために、使い続けてもらうために何が必要かを考え続けました。お客さんと直接会って話し、プロダクトをより良くするために改善点を洗い出し改善を重ねていくことが重要でした。一方で、広い視野で市場を見て仮想通貨·ブロックチェーンをより普及させていくために必要なプロダクト、サービス、機能を作ろうというのも大切です。どの開発をどういう優先順位で進めるのかは、もちろん競合もいるのでいつも議論が盛り上がります。どのくらいのお客さんが使ってくれそうなのか、どのくらい収益が上がりそうなのか、KPIにどのような影響を及ぼしそうかというビジネス的な検討だけでなく、当然法律·コンプラ·マーケ·PR·経理財務·オペレーション·カスタマーサポート·既存のプロダクトとの整合性·競合他社の動きなども含めて多面的に考えることが肝要です。これらを1つ1つ検証していって、時間軸を動かしてみてその影響を考慮します。特にモバイルアプリへの取り組み方針や、アルトコインの導入、取引所のパフォーマンスはお客さんからの注目度も高く、日本の仮想通貨·ブロックチェーン業界のファーストランナーとしてどうあるべきかという観点も考慮し議論を重ねてきました。
僕はbitFlyerに入社するまでエンジニアと一緒に仕事をしたことがなく、最初は全然言葉がかみ合いませんでした。完全に僕の知識経験不足なのでまずはとにかく本をたくさん読み、何のことを話しているのかを理解しようとしました。だんだんとエンジニアとも話ができるようになっていきました。bitFlyerのプロダクトが成長していくのに伴ってシステムは複雑になっていき、エンジニアのみんなと同じ時間を共に過ごすようになっていきました。いつからか毎日のように朝から晩までプロダクトの話をするようになりました。
ビジネス·ディベロプメントは、仮想通貨·ブロックチェーンの普及において肝の一つだと思います。bitFlyerは世界初·日本初のサービス·プロダクトをいくつも出してきました。これからもそうだと思います。ブロックチェーンで価値の移転ができるようになりましたが、仮想通貨はあくまでも投資対象の一つであると多くの方々が認識していました。仮想通貨を投資以外の用途で生活に浸透させていく取り組みが必要だと考えました。日本で最初に仮想通貨とポイントの交換サービスを始めました。生活に馴染んでいくように色々なポイントとの提携を増やしていきました。2019年8月にはTポイントさんとの提携を発表しました。仮想通貨決済を始めました。2017年4月にはビックカメラさんとの提携を発表しました。日経新聞1面に掲載頂いたり、テレビ局の取材も全キー局·NHKが取材してくださり、数多くのメディアに掲載いただきました。MSADさんと共同開発した保険も日経1面に掲載いただきました。bFを経由してWEBで買い物をしたりサービスに申し込んだりするとビットコインがもらえるサービスも日本で初めて提供しました。これらのサービスはいずれも仮想通貨を投資だけで無く普段の生活で使えるものとしても普及を目指すために行ってきました。ブロックチェーンでは3メガバンクとの実証実験を皮切りに独自開発のブロックチェーンmiyabiを用いた実証実験やプロダクションへの採用を推進してきました。積水ハウスさんやMSADさんだけでなくその他大手企業から継続的にお話をいただけています。ここにあげたいずれの施策も、仮想通貨·ブロックチェーンの可能性に共感してくれた提携先の企業の方々のご協力が無ければ成立しませんでした。黎明期から根気強く議論を重ね多くの企業様と日本初·世界初のサービス·プロダクトを提供し続けられたことで仮想通貨·ブロックチェーンのイメージが好転していったように思います。
マーケティング·PRも全くの初心者でした。右も左も分からないのでマーケの本やWEB記事や論文などを読み漁りました。それでも分からないことだらけなので更に本を読んでは人に聞くことを繰り返しました。結果的に仮想通貨·ブロックチェーン、bitFlyerの認知は質も含めて上昇して行くことになるのですが、それは社内だけでなく外部のパートナーの方々と積極的に議論を重ね協力してマーケティング·PR活動を行ってこれたからだと思います。2014〜2016年頃はMTGOX事件の影響もあり、仮想通貨は世の中から批判的·否定的な目で見られていました。それでも仮想通貨·ブロックチェーンの可能性を感じてbitFlyerのサービスを使ってくれたり、出展·企画したイベントに来てくれたりする方々がいらっしゃいました。その方々を大事にして、そして世の中に継続的に仮想通貨·ブロックチェーンについて正しい情報を啓蒙していくことができれば必ず普及すると信じてやってきました。結果的に、多くの活動を通じて少しずつ世の中の認識が変わっていきました。
メールやプレスリリース、SNSの運用一つとってもデザインや文言なども細かいところまで拘り抜いてやってきましたし、SEO対策や運用型広告も多くの議論やPDCAを重ねて着実に実績が出ていたように思います。大きな戦略を柱にしつつ各ファネル毎に最適な戦略·打ち手を考えて緻密にデータを見ながら日々行動しPDCAを回していくことができる組織とシステムを作ることが肝要だと思います。
皆さんも一度は目にしてくれていそうで、分かりやすいものとしてはテレビCMがあります。新聞広告や屋外広告も何度か実施しました。日経新聞をご覧になられている方は目にされたことがあるかもしれません。
テレビCMは何十人もの人たちが一緒になって作りました。企画を練り、撮影も朝から晩までやりました。動画も細かくチェックしていきます。加納さんは細かいところまで確認する人なのですが、演者の髪がはねてる(1本ですよ。じーっとよく見ないと分かりませんでした)のを見つけた時は驚きました。他にもパースがおかしいとか、ロゴと文字が1ピクセルずれてるとか、音の大きさ·高さに違和感があるとかもきちんとチェックしていきます。クリスマスの日にも深夜まで確認作業をやりました。そして放送日を迎えます。そうすると、街を歩けば道ゆく人がbitFlyerのCMの歌を歌ってる、駅のホームで電車を待っていると前のカップルが歌ってる、飲み会で隣の席の人たちが何故か口ずさんでるというシーンを目にするようになりました。嬉しい瞬間の一つです。人々の認識が変わって行くのを強く感じる出来事でした。

TVぼときのやから

住む場所の決め方や息抜き、時間·仕事への考え方など


オフィスは何度か移転していますが、永田町から赤坂に移転した後に私もオフィス近くに引越をしました。赤坂に引っ越すと家賃は5万円上がりました。ざっくり1日40分移動時間に使っていたのが数分になり、少なくとも1日30分長く働けるようになりました。ほぼ毎日働いていたので30分*30日で900分が生まれました。15時間です。これは労働時間にすると当時の僕で大体1日分です。要は引っ越すと1ヶ月が1日長くなります。こういうのをいろんな側面で積み上げていくと大きな差につながると思いますし、結果引っ越して良かったと思います。会社も成長してきた頃に会社の近くに住んでる社員には家賃補助が出せるようになりました。今では多くの社員が会社の近くに引っ越してきています。
息抜き的に飲み会は大体金曜日に深夜スタートでやってました。赤坂·六本木だと遅くまで開いているお店がたくさんあるので困らなかったです。飲みに行ってはこれからの会社どうするだの、このプロダクトの機能はこうしないとダメだよねだの、あーだこーだと朝まで話して帰って寝てました。翌日土曜日はお昼過ぎに起きて、シャワー浴びて会社に行く。みたいな生活を送っていました。
イーロンマスクが週に80-100時間働けば事業の成功確率は高まると言ってると思います。この言葉を初めて知った時、共感したのを覚えています。やりたくてやっていて、そうしないと会社の成長が止まると思うといてもたってもいられないという感じで、使命感とかそういうのが近いと思います。


2014年8月~2019年8月の概観


最初の社員として入社してから5年間を振り返ると、設立数年でこんなに会社って成長するものなのか。と驚いています。入社当初は想像もしていなかった、仮想通貨·ブロックチェーン市場やbitFlyerの成長に貢献することができたと思います。仮想通貨·ブロックチェーンという新しい概念を世の中に広め、多くの人々がサービスを使ってくれるようになりました。人生において所与のものと思っていた、人々の認知や法律などの事柄が、実は変更できたり新設できたりするということも分かりました。日本·世界がどうすればより良くなるのか。無意識のうちに設定してしまう上限を外して、ゼロベースで物事を考え判断し、1つ1つ拘って実行していくことで日本·世界の前進に貢献できると考えられるようになりました。
一生懸命にやっていく中で徐々に身の回りで自社サービスを使ってくれる人が増えてきました。電車で携帯を触ってる人の画面が自社のアプリだったり、街で近くを歩いてる人が最近ビットコイン買ったんだよねー。と話していたりするシーンに遭遇すると嬉しかったです。
結果として、取引量世界一の達成や、国内でお客様200万人以上に口座を開設いただくこともできました。bitFlyerの収益への貢献も含めて仮想通貨·ブロックチェーン市場の創造と成長に寄与できたことは僕の宝物です。入社当初は、銀行で経験した、決まったロールの中で成果を出して行くのと全く違う働き方に戸惑うことも多かったと記憶しています。当然ですが、お客さんに対して価値を出し続けないといけない、選ばれ続けなければならないという部分は銀行の頃と共通していました。ですが、やれることの幅があまりに広く、何が正解か分からない。暗中模索するのですが、迷い立ち止まっていると何も起きずに静かに潰れていってしまう恐怖がありました。何ができるのか。どうすればサービスが使われるのか。考え続けて、未知の領域に先人の知識·知恵を集めて取り組み続けることが肝要だと思うようになりました。そして一つ一つの仕事に対してパラノイア並みに拘ってエクセキューションを積み重ねていくことで結果として大きな差につながることを学びました。
自分の過去5年を何かに例えるならば、バンジージャンプに似ているなと思います。バンジージャンプするとき、真下を覗き込み足がすくみます。でもここまで来たし挑戦したい、「よし飛ぼう」と決めて飛ぶために何度か体を傾けてみます。でも怖くて中々飛べません。何度か挑戦してるうちに物理的に引き返せない角度まで体が傾きます。その角度に到達した時「あ。もう引き返せないな。」と思います。そして覚悟が決まります。急落下して景色がめまぐるしく変わリ、体験したことのない速度で進んでいきます。無我夢中で進み、突如バイーンとなって我に返ります。「アァー、やってみてよかったなぁ。もう一回やろう。」と思います。孫さんも「退路を断て」と言っていたと思います。時にはそういう発想も大切かもしれません。
以上、参考になれば幸いです。

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